その跳ねた髪の毛の彼女へ。

私と2011年9月16日に生まれた娘さんとの生活を徒然と。

Tシャツの中は鋭く尖るナイフ

id:chiaki0723さんが書いた記事に反応してみたいと思います。

『誰か』とか『何か』を好きになった理由というのは私の中では結構後付けで、「好きだなあ」と思ってから「どういうところが好きなんだろう」って考えてから「ああ、私はこの人のこんな所が好きなんだ」って思うパターンが多いです。
でもやっぱり何かを『好き』になるって言うのは理屈じゃないところが大きいと思う、やっぱり本能のままに求めてるのかなとも思わないことは無いのですけど、私の中では『理屈じゃない』って言ってしまうと物凄く抽象的でその自分の思いを確信に変える為に「どういう所が好きなんだろう」って考えてしまう。
向こうからしたら『欠点』でも、私からしたら『愛すべき長所』になっていた事だってあったし、そう考えると『好き』の理由なんて本当に意外なところから出てくるものだとつくづく思う、捉え方なんて様々だなーって思ってしまう。
これが、一方通行の想いなら自分だけを心配していれば良いんだけどそうじゃないだって勿論あるわけで。
別に『好き』っていう思いだけじゃなくても『嫌い』でもなんでもその想いにたどり着くまでの『何か』を知りたい時だってあるわけです、『結果』だけじゃなくて、その『過程』が知りたい時だってあるわけです。
『過程』あっての『結果』であって、『結果』から『過程』を探ろうとするとそれは途方も無い作業になってしまうから。
でもその『過程』を相手に伝える事で相手がこんな風に感じるだろうなって言うのを頭の中を掠めていくのです。
それが良い反応だったら良いのだろうけど、勿論反対の事もあるわけで・・・そうなるとやっぱり相手にそれを伝えてしまう事がいいことなのかって考えてしまう。少なくとも自分が同じ事されたら嫌だなって思うから。
相手にとってそれが良いことかどうかは分からないけれど、『好き』と感じている相手だからこそ言えない事とかあると思うし、言う必要の無いことだってあると思うし。
ちゃんと分かることは自分の気持ちしかないけれど、それでも自分は一人で生きているんじゃなくて色んな人との関係の上に自分という存在が成り立っているって言う事も忘れちゃいけないと思います、難しいけど。
相手にも分かって貰いたいって思うなら、やっぱり相手にも分かるような言葉で理由をつけるって言う事も大事なのかなって最近思うようになりました・・・意識の変化?(笑)
自分の中での解釈も大事、でもそれを他者に伝えるって言うのも場合によっては必要ってことでしょうか。
『何か・誰か』を好きになるって自分だけでは出来ないことだから。

・・・自分でも何言ってるのか訳が分からなくなってきましたが、そんな感じで(何
これも結局は『各臣悠の考え』で、これが正しいなんて思ってないです。当たり前だけど。
でも考え方の過程の一つにこういう考え方もあるんだと思っていただけたら幸いです。