その跳ねた髪の毛の彼女へ。

私と2011年9月16日に生まれた娘さんとの生活を徒然と。

愛はそんなにお手軽ではないよ

えーと、昨日千石イエスの事を書いたら思わぬところからトラックバックを頂きました。
でも『イエスの方舟』とか『千石イエス』を思い出すのはもう結構いい年というのに軽くショックを受けてコメントを残さずに帰ってきてしまいました・・・。
そうかこれを思い出す人はいても、それが決して自分とは同じ年代の人が思い出すがどうかとなると全く別問題なわけですねw
えーと、ここで今更ながらに言い訳させてください。
各臣実年齢はそんないい年じゃないと思います、少なくとも世間一般ではまだ学生さんでも通用する歳です(笑)
まだ20台入ったばっかりのところでこんな単語が出てくること自体アレなのかもしれません。
因みに各臣がこれを知っているのは、昨日書いた通り、白倉由美の『贖いの聖者』からです・・・。
でも『贖いの聖者』の最後の主人公・花歩のモノローグが印象的です。

『・・・ひととちがうことをわざとしてそれでなにもかもできたつもりになるのはやめようと思います
つまんないことでもひとつずつ 一人でできるようにしたいと思います
本当のことをいうと 私は師を利用したのかもしれません
やはり私の家は 少し特殊な家庭だったし
私は逃げだしたくて なにかに
ただすがりたかっただけかもしれません

師でなくても なんでもよかったのかもしれません

でも やっぱり
私が師についていった という事実は
残ると思うのです

さようなら さようなら 私の師―――だけど

だけど 私がすがったのが
師 だった ということに 
意味があると思うのです』

結局自分の弱いところを見つけて、何とかするななんてことは結局のところ自分にしかできないし他人に頼ってすることじゃないんだよって事なんですよね。
誰かに頼りたい時だってあるし、弱くなるときだってあるけれどそこから『どうする』のかは結局自分で決めないといけないことで。
これからあの男性と暮らしていた女性たちはどうするんでしょうね、ちょっと気になります、